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税法違反被告事件の裁判を傍聴して No.1

2018/01/08

年末年始の休みを終え、わが事務所は15日から平常通りの業務を開始しました。平常通りといっても、今年の場合ですと19日迄は、まだ、正月気分が抜けないと仰る方もおられるのかもしれませんが…。そのような中で、このような話題をこの税務コラムで扱うのは、正直なところ、幾分躊躇をするところではありますが、ともあれ、今回から税法違反被告事件(脱税事件)の裁判を傍聴して感じたことを述べてみたいと思います。というのも、筆者の仕事の関係で、刑事事件としての税法違反被告事件の裁判を傍聴する機会があったからです。本件は一般的な刑事事件ではなく、租税刑法の分野で逋脱(脱税)事件を扱うものです。

 

ところで、刑事事件における被疑者を職権で逮捕する権限を持っているのは、警察官だけではなく、その代表的な職業といえば、検察官及び検察事務官等が挙げられます。本件のような逋脱(脱税)事件において、検察官が被疑者を逮捕した場合は、被疑者の身柄はいきなり拘置所に送られることになります。何故なら、当該事件の捜査を行ったのは警察ではなく検察ですから、身柄を拘束する場所は、警察の施設である留置場ではなく、検察の監督官庁である法務省が管理している拘置所に収容することになるからです。ここに勾留して検察は被疑者を徹底的に取調しますが、その場合に身柄を拘束していれば、被疑者の逃走や罪証隠滅を未然に防止し、必要な時に、必要な時間をかけて取調べをすることができるからです。

 

しかし、なぜ検察に逮捕されると拘置所に入れられるのでしょうか?悪いことをしたとされる(本件では脱税が疑われています)その罰のためなのでしょうか?拘置所に入れられる(身柄を収容される)と、イメージ的には悪いことをした罰として、そうされたとの印象を強く持たれる方が多いと思いますが、それは違います。この場合、罰として拘置所に入れられるわけではありません。何故なら、最終的に有罪、無罪を判断するのは裁判所であり、有罪であれば、刑罰の種類や重さを裁判所が決めるからです。したがって、拘置所という一般社会から隔絶されている塀の中に収容されることは、法の建前上は決して刑罰ではありません。刑罰は、裁判所が犯罪者と判断した者に対してのみ執行されるものであり、無罪推定を受ける被疑者に執行されるものではありません。

 

犯罪を犯したと疑われる事実(被疑事実)の有無が捜査の対象となっているため、その捜査の成果を上げるために刑事訴訟法が身柄を拘束することを許しているものです。しかしながら、身柄を拘束されている被疑者本人にとってみれば、もうすでに刑罰を受けているように感じられることでしょう。というのも、狭い空間(檻)の中での居住を強制され、場合によっては家族、友人知人、仕事関係の人、それらの誰とも会うことも、好きなものを食べたりする通常の社会生活をすることも全くできません。また、会社の経営者であれば、マスコミに「逮捕」が報道されることにより、取引先からはそれまでの信頼関係から成り立っていた取引契約を解消されることだって考えられます。このように人権に重大な影響を及ぼす、被疑者の逮捕及び拘置所での収容について、検察が誤って「無実」の人を逮捕する可能性は少ないにしろ、人権上の観点から、仮に法の不備等による「無罪」となる可能性もゼロではないことも考慮されるべきものです。(つづく)

 文責(GK

 

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