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国税不服審判所の役割とその存在意義 その37

2022/04/04

青色申告承認の取消処分の理由付記の十分性について大阪地裁は、昭和5059日判決(行集265714頁)において、「取消通知書に記載すべきことが要求される附記の内容および程度は、相手方において、当該取消処分がいかなる事実関係に基づきいかなる法規を適用してなされたかを記載自体から了知しうるものでなければならず、単に抽象的に処分の根拠規定を示すだけでは、それによって当該規定の原因となった具体的事実関係をも当然に知りうるような例外の場合を除いては、法の要求する附記としては不十分であるといわねばならない。また右附記の内容として右各号を掲げるほかに、若干の文言が記載されていたとしても、それが抽象的なものであって単に号数を掲げたのと異ならないとみられる場合にも、附記の内容が不十分であるといわねばならないことはいうまでもない。」

と判示しています。

 

しかしながら、本件青色申告承認の取消通知書における記載は、本件関係法人に事業実体がないことを8つの箇条書きで示してはいますが、それらは、もとより本件関係法人に事業実体がないことの具体的な事実等を直接証拠によって表示するものではなく、聊か度の過ぎた課税目的のためだけのこじ付け程度のものです。むしろ実態としては、本件関係法人に事業実体があったからこそ、これまで請求人は元請事業者からの発注を請けて、それを二次下請としての関係法人以下の下流企業に分配して請け負わせ、それぞれの業務を管理監督して工事を完工させてきたからこそ、現在も請求人が法人として存在しているものです。また、当該外注費につき、請求人の前々代表取締役であるA氏が指示して、本件関係法人から架空の請求書を発行させた事実は一切なく、しかもそれについての直接証拠は、度重なる請求人の求めに対しても、原処分庁はこれを明らかにしていません。

 

ということは、本件関係法人に外注費を支払っているように仮装した事実も根拠もなく、課税根拠がないところに原処分庁が公権力を無理矢理行使して、誤った処分・課税を行っているものであり、全くのデッチあげであることから、当該誤謬は直ちに正されるべきです。現に、札幌南税務署(原処分庁)ですら札幌国税局が査察調査に着手する直前までは、「初めてのことでもあり、今回は署長宛に始末書を出して終わりにします。」との趣旨の調査官の指導をしていたものであり、青色申告の承認の取消はしないとの確約をしていたものです。なお、本件については、更正の請求時の請求人の主張に対して、原処分庁から何らの通知もないことから請求人の請求を認容したものと考えていますが、審査請求において、一応、審判所からの確認のための判断を求めています。

 

国民の財産を対価を伴うことなく無償で国家に移転させる(課税)手続が、「合理的な疑いを入れない程度の証明」をすることなく、このように欺瞞に満ちて、そこここに非合理な疑いを生じさせるのみの間接事実しか示すことができない中にあって、斯くも簡単に行われることに、国民の一人として強い疑念を抱くとともに強く抗議するものであり、本件青色申告の承認の取消処分は誤りであることを強く主張するものである。因みに、国税不服審判所のトップであるH氏は、「審判所においては、あくまでも行政のあり方を迅速に見直すという不服審査ですから、補充調査みたいなことは行いません。当時この証拠でこの課税をしてよかったかということを争点主義的に見ていく」と審判所の役割について述べています。そうだとすると、原処分庁が示している程度の誤った間接証拠をもって、本件青色承認の取り消しを行っていいのかがより問われるべきが審査請求の審査のあり方と思われます。

 

本裁決書における結論は、原処分庁(国税局査察部)があれ程の手続無視や法令無視の違法行為に基づく事実認定、それに基づく処分等を行っているにも拘らず、それらの吟味・検討、独自の調査すらすることなくそのまま無批判に受容し、これを自らの認定事実としている審判所が、僅か2行で表示している、それを目の当たりにし、正に審判所が国税の賦課徴収を行う執行機関から独立した公正な第三者的立場にはないことを象徴していることを思い知らされます。請求人の代理人の立場もさることながら、研究者としての立場の率直な感想は、これほど欺瞞に満ち溢れた裁決書はかつて目にしたことがありません。将に国税不服審判所は、国税局査察部とともにその役割ないし存在意義が問われる存亡の危機にあると自覚すべきです。原処分庁(国税局査察部)による「はじめに結論ありき」の強引な違法調査の着手に始まり、重要な証拠の隠蔽及び捏造、虚偽の質問てん末書の作成、それらに基づく誤った事実認定、誤った法令等の解釈・適用並びに税額計算を誤った更正処分、そして、それらを、事実上そのまま何らの吟味、確認、調査もすることなく、自らの認定事実としてお墨付きを与えている審判所の現状に国民(納税者)は期待できる何かがあるのでしょうか?

 

その結果として、原処分庁(国税局査察部)がなした当初更正処分等には、数々の誤りや法令無視及びそれに基づく事実認定の誤り並びに複式簿記の原理を無視する初歩的かつ明白な誤りがあるにも拘らず、審判所はそれらを「当審判所において計算すると原処分の額といずれも同額となる」などとし、適正、適法であるかのお墨付き(裁決)を与えているのです。このようなことから、当該当初更正処分のそれぞれの期の至るところに誤謬が存在しているのです。よって、請求人は原処分庁に対し令和3317日、当該当初更正処分におけるそれらの誤りにつき職権による減額更正を求めました。しかしながら、同年326日、原処分庁の審理専門官部門の審理専門官であるMT氏から、「当該当初更正処分は、国税局(査察)マターなので、当時の税務調査に係る一切の資料は当署には存在せず、その資料にアプローチすることさえもできないので、請求人の方から更正の請求をして頂けませんか」との趣旨の強い要請を受けました。

 

ところが、この原処分庁からの強い要請に基づいて行った請求人からの更正の請求は、後に判明するのですが、原処分庁が請求人の求めを撥ね付けるべく悪意で仕掛けたとしか思われない落とし穴が待ち構えていました。その1つは、請求人が更正の請求書を提出して暫く経った時点で、通則法232項の該当性の観点及び国税の「徴収権の消滅時効」に関する規定を根拠に、当該更正の請求の一部につき、請求人が更正の請求を行うことについて、通則法232項には該当せず、また、更正の請求を行うことができる法定申告期限の徒過から「理由がない」と主張してきました。そもそも、原処分庁からの強い要請を受けて、請求人が行うことになった更正の請求にも拘わらず、原処分庁の主張は、甚だ不見識で自己矛盾も甚だしく、道義的観点はもとより、禁反言の原則に照らしても許されるものではありません。

 

その2つ目は、原処分庁があまりにも事実認定を誤っていることが明らかな一部については、原処分庁としても認容せざるを得ず、所得の額に加算された5,000万円を超える額については減算され、国税、地方税を合わせて対応する約2,400万円の税額の還付を受けました。この還付金に係る還付加算金の計算の始期は、別件の租税法違反事件の疑いが掛けられた時点(平成2812月)で、予納をしていたことから、当然、その中から納付に充当されていました。しかし、実際に請求人の口座に振り込まれた還付加算金の計算の始期は、この更正の請求をした令和45月でした。これについては、原処分庁に「還付加算金」に係る計算についての申立書を提出し、今般の更正の請求の経緯、予納の時期、還付加算金に係る計算の始期等について申立人(請求人)の考え方及び善処方を考慮するよう要望しましたが、それについて定める法令は存在しないと、突っ撥ねられてしまいました。

 

これでは、原処分庁を含む租税行政の独断的、恣意的意向がそのまま事実認定に反映され、それを審判所はなぞるだけのセレモニーと化しており、無制限に適正、適法であるかのお墨付き(裁決)を与える結果となっています。原処分庁、審判所を含む租税行政庁は、自らが行ったこと(行為)は、絶対的に正しく、国民はそれに対し文句を言うなとでも考えているのでしょうか、これでは、将に国税の賦課徴収を行う執行領域における警察と検察及び裁判所の機能を統合した強大な権限・権力を国民が白紙委任しているようなものです。権限・権力は集中すればするほど、必ず腐敗するリスクがあるのが世の常です。現状の審判所は国家権力の誤用、乱用をノーチェックで認め、それらに適正・適法性のお墨付きを与えているのみで、むしろ、それは国民の害となる機能と役割を果たしているに過ぎません。今将に審判所の存在意義、役割が問われています。(このテーマおわり)

文責(G.K

 

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