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税法違反被告事件の裁判を傍聴して No.2

2018/01/23

前回は、社会的あるいは人権上の配慮から、無罪推定を受ける被疑者(被告)への扱いは慎重であるべきことを述べさせて頂きました。というのも、わが国の憲法31条には「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない」と規定されており、これには無罪推定の原則が含まれると解釈されているからです。また、わが国も批准している「国際人権規約」のB規約(自由権的規約)第14条第2項は、「刑事上の罪に問われているすべての者は、法律に基づいて有罪とされるまでは、無罪と推定される権利を有する。」として、権利という形で明確に保障しています。

 

このように無罪推定の原則は、元来、国家と国民間の関係を規律する原則であって、マスコミも国民の一部を構成することから、当然、適用を受けるものと考えられます。しかし、「法律に基づいて有罪とされ、それが確定する」までは、被疑者、容疑者として無辜の市民として扱われるべきという人権保障の原理で存在し、それが一般的、かつ国際的にも定着しているにも拘らず、一方では、マスコミによる報道被害が無罪推定との関係で取り上げられることも少なくなく、逮捕、起訴された者は「有罪推定」としての誤った認識での報道による大衆誤導も、また少なくありません。

 

上述したように、刑事裁判において無罪推定の原則が適用されるので、本来、有罪が確定するまでは犯人として扱われないことになっています。しかし、起訴を受け、被告人として入廷する際には、前後を刑務官に付き添われ、手錠、腰縄で裁判関係者や傍聴者にその姿を晒すことになります。これこそは、国民(傍聴者)に誤った認識を与えるものの最たるものではないでしょうか。先日の新聞にも、「法廷の手錠」と題する記事が掲載されていました。「被告が刑務官に付き添われて入廷し、傍聴席の前で『ジャラジャラ』と音を立てて(手錠が)外された。開廷前の一瞬静まり返った時間―。人々の視線は、どうしても被告の手元に集まってしまう。家族や知人が座っているかもしれない…」

 

確かに、仮令裁かれる立場であったとしても、見られたくない場面には違いないでしょう。こうした現状に、法廷で刑事裁判の被告に手錠、腰縄を付けるのは「人権侵害」であるとして、近畿弁護士会連合会が法廷では手錠や腰縄を使用しないよう求める決議を採択し、大阪弁護士会は裁判の傍聴者らを対象に、手錠、腰縄姿を見た印象を尋ねる全国初のアンケートを始めたとされます。手錠、腰縄は逃走を防ぐため、被告人の両手に手錠をはめ、腰に付けた縄を刑務官などが持って裁判所と拘置所との間を護送するものですが、弁護士会は「裁判官や傍聴者に『犯罪者』との印象を抱かせ、無罪推定の原則に反する」と指摘し、この調査を踏まえ、裁判所などに改善を求めていく計画のようです。

 

手錠、腰縄の使用は、犯罪者との印象を抱かせる、いわゆる「犯人視」につながり、人としての尊厳を損なわしめるものと考えられますが、刑事訴訟法は、公判中における身体拘束を禁じているため、裁判官が開廷を宣言してから閉廷を宣言するまでは手錠、腰縄は外されますが、入退廷の際は、まるで「見せしめの如く」手錠、腰縄姿のままです。こうした運用は、囚人を連想させ、被告人の自尊心を傷つけるものですが、法務省は運用を改める予定はないとしているとされます。刑事収容施設法は、被告人の逃走を防止するため、護送の際には手錠や腰縄を使用できる旨を定めていますが、法文は「使用できる」とするものですから、「使用しない」との判断、選択肢もまたあるように思います。(つづく)

 文責(GK

 

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